| 山行周辺学
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| 山に登る。登る楽しみとは別の楽しみ。その辺りにスポットを当ててみました。 | |||||||||||||||||||||||||||
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| 山行周辺学 第一回 <止水> 湖や沼。このような状態の水系を止水と呼びます。湖沼学は止水を湖・沼・沼沢の三つに分類します。今から記す話はあくまで湖沼学での話です。地質学等別の学問では分類は変わっているかも知れません。そこの所を間違えないで下さい。 湖沼学上の湖とは「水深が深くスギナモ・マツモ等の沈水植物が周辺部にしか生えていないもの」と定義しています。 沈水植物というのは生体全体が水中にある植物のことです。 沼は「浅くて中央部まで大型の植物が生えているもの」。 沼沢は「ヨシ・ミツガシワ等の挺水植物が中央部まで生えているもの」をいいます。 挺水植物とは葉や花等生体の一部を水面上に出す植物をいいます。典型的なのは蓮でしょうか。 山岳湖沼にはいろんな出来方があります。一つは火口湖。これは火口に水が溜まったもの。御嶽山・二の池、乗鞍岳・権現池、室堂・ミクリガ池、蔵王・御釜などが挙げられます。 二つ目は火口の陥没した所に出来るカルデラ湖。榛名山・榛名湖、磐梯山・雄国沼等です。 三つ目は火山の噴火で流れ出た溶岩によって堰き止められた火山堰止湖。上高地・大正池(焼岳の噴火)、 尾瀬・尾瀬沼(燧ケ岳の噴火)が挙げられます。 他には、氷河のモレーンの堆積によって堰き止められた湖沼で、木曽駒が岳・濃ヶ池。崖崩れで出来た湖沼で、上高地・明神池や田代池。大体このようにして湖沼は生成されています。モレーンというのは、氷河によって運搬された岩塊や土砂が堆積した堤防状の 地形をいいます。 ところで、日本一高い湖沼は御嶽山の二の池で標高2906mです。二の池は美しい水を満々と湛えています。この水を汲んでコーヒー入れて飲みました。美味しかったですよ。 以前、山の雑談をしていた時「高層湿原ってどのくらいの標高から高層というのですか」という質問を受けたことがあります。「標高は無関係です」が結論です。では湿原の話。 湖沼は河川からの土砂の流入等により徐々に埋まっていく。そうすると沈水植物が生育する。更に浅くなると、浮葉植物が生育し、浮葉植物が生えていた所に挺水植物が生え始め、その周囲から湿原植物が侵入する。これが進行して湿原となり、膨大な年月の後、森林となる。これを陸化と呼びます。湿原は陸化の一過程なのです。 (注) もう少し付け足しておくと、スイレンは葉を水に浮かべるので浮葉植物、ハスは水面の上に葉を出すので挺水植物となります。 湿原が変化していく過程において重要な働きをするのがミズゴケです。地下水を水源としていた湖沼が陸化の過程でミズゴケの生育を持ちます。ミズゴケは水分を蓄える性質が非常に高い植物で雨水や霧だけで生育できます。ミズゴケは上方に生育し下のほうは枯れます。枯れたミズゴケは気候が低温であることとミズゴケ酸を有することでなかなか朽ちません。やがて、ミズゴケ泥炭と呼ばれる炭層を形成し湿原底面を覆うことになり地下水脈が遮断されます。こうして雨や雪を水源とする湿原が出来上がります。この状態の湿原を高層湿原(高位泥炭湿原)と呼びます。初期の地下水を水源とする湿原を低層湿原、この二つの湿原の中間を中間湿原と呼びます。 湿原の植物指標として代表的なものは、低層湿原がミズバショウ・ヨシ。中間湿原がニッコウキスゲ・ワタスゲ。高層湿原はミズゴケ・ホロムイスゲです。植物指標の利用にあたって間違えて欲しくないことは、「ミズバショウが生育しているから低層湿原」という判断をしないでほしいということです。確かにミズバショウは低層湿原の植物指標とされますが、中間湿原・高層湿原においても生育環境が整っている限り生育します。いかにミズバショウを名物としようとも尾瀬ヶ原は高層湿原(高位泥炭湿原)なのです。 沼沢の陸化の過程において湿原化が始まると、ミズバショウが咲き始め、ミズゴケの生育と共に地下水源が細くなりニッコウキスゲの侵入が始まります。ミズゴケが泥炭層を形成し地下水源を遮断するとホロムイスゲが生育します。ミズゴケはホロムイスゲの株を支えるために周辺部より高く生育し、この生育した部分にツルコケモモやヒメシャクナゲが侵入してくる。このような過程を経て、湿原は陸化していきます。 地表面より高くなるほど寒くなる。そのため、植物相にも違いが出てくる。この垂直分布は気候帯や植物相と相関している。
垂直区分としては、この上に草本帯と呼ばれるものがあるが、日本では帯としての存在ではなく点在とされる。 北アルプスに登る。多くの場合樹林帯の登高から始まる。ある程度の高さまではバス等が運んでくれるので、スタート地点は山地帯(温帯)や亜高山帯(亜寒帯)になっている。数時間の登高の後、眼前がパッと開く。樹林帯(亜寒帯)からハイマツ帯(寒帯)に切り替わった瞬間である。当然のことながら、風景はドラマティックに変化するが、気候区分までドラマティックに変化するわけではない。他に考えることも無いから、そんなことを思いながら歩いているというだけである。ただ、多くの場合この瞬間が森林限界である。森林とは高さ4〜5mの高木が密に生えている所と定義される。その上限が森林限界である。森林限界の上には高木限界というものがある。これは、オオシラビソ(アオモリトドマツ)のような高木が高さ4〜5mにまで成長できる限界を言う。当然、数本疎らに生えているだけで森林は形成しない。森林限界は一般的には、日本アルプスで2400〜2800m、東北の山々で1600m、北海道の大雪山系で1400mくらいとされる。 数行前に、「眼前がパッと開く」と書いたが、大概は「いつのまにか樹林帯を抜けていた」である。「眼前がパッと開く」感覚を味わいたければ、上高地・横尾から蝶ヶ岳に登って欲しい。急登数時間、眼前がパッと開く。低木を覆い隠す冬山と違い、夏山は森林限界が明瞭とは言いがたいが、蝶ヶ岳の森林限界は実に美しい。これほど見事な森林限界も珍しい。 最近の研究によると、ここには2m程の断層があり、森林限界はこの断層に沿っているという。数万年の歳月を要してなお、森林はこの断層を突破できないでいる。 葉は樹木にとって栄養分を作り出す工場ですが、落葉に当って樹木は葉に蓄えた養分(炭水化物・タンパク質・無機塩類)を樹体に移動します。その結果、葉の中には代謝の際に不要になった物質のみが残ることになります。こうして葉の働きが弱くなると、葉柄の基部に離層という特殊な細胞が作られます。この過程で、葉のなかのクロロフィル(葉緑体)が分解されていきます。葉には緑色系の色素であるクロロフィルの他に黄色系色素であるカロチノイドも含まれていますので、クロロフィルの分解に伴いカロチノイドが優勢となり、葉は黄色に色づきます。葉に離層が出来た後、残存するタンパク質の分解過程でできるアミノ酸からアントシアニンという赤色系の色素が合成され、アントシアニンが優勢になると葉は赤く色づくことになります。 橙色はカロチノイドとアントシアニンが適度にバランスされた時、紫はクロロフィルの分解が十分でない時にアントシアニンが合成された場合とされます。 カロチノイド系の色素(黄〜橙色)も様々ですが、代表的なのはニンジンカロチンでしょう。他にはクチナシ黄色素が「栗きんとん」や「中華麺」の着色料として用いられていますし、トマトの色もリコピンというカロチノイド系の色素です。 アントシアニンは赤〜青色系色素。食品の着色料で赤や青が用いられていればアントシアニンと判断して大過ありません。それほどよく用いられています。アントシアニンがクローズアップされた話題としては、赤ワインはポリフェノール類があってナンダカンダと喧しい健康論議がありました。赤ワインのポリフェノール類には、このアントシアニンを始めとしてフラボノイド、カテキン、タンニン等が含まれます。また、シソにもアントシアニンは含まれています。アントシアニンはpH(ペーハー:水素イオン濃度)によって色が変化します。強酸性側では赤、pH5〜6で青、更にアルカリ側で緑を呈します。アジサイの色もアントシアニンがかかわっていて、吸い上げる土壌のpHによって赤色〜青色までを発現しているのですが、詳しい話は別の機会とします。 こうして、山々は栗きんとん・中華麺・カニカマボコ・赤ワイン等の美味しい色に彩られることになり、やがて葉は離層から枝を離れます。 落葉といえば秋の代名詞の感があります。ブナに代表される落葉広葉樹やカラマツのような落葉針葉樹は樹木の生育に不適な晩秋に葉を落としますが、「春落ち葉」という言葉もあるように、アラカシやクスノキ等の常緑広葉樹では春に落葉します。 落葉の後は、霜枯れの季節。寂寥溢るる山歩きとなります。 からまつの林を過ぎて からまつをしみじみと見き からまつはさみしかりけり たびゆくはさみしかりけり 世の中よ、あはれなりけり 常なけどうれしかりけり 山川に山がはの音 からまつにからまつのかぜ
と北原白秋が詩ったのは直立した落葉松。今から記すのは這いずり回っている落葉松。 富士山にハイマツは存在しない。こう書いたら反発を喰らうでしょうか? 「私は富士山に登ったとき斜面を這い上がっているハイマツを見た」という方も少なからずいることと思います。しかし、残念ながら富士山にハイマツは一本もない。富士山の斜面を這いずっている植物はカラマツなのです。この這いずっているカラマツを匍匐性カラマツと呼び、富士山でしか見られない現象とされます。カラマツは本来直立する高木ですが、富士山の過酷な気象条件(降雪と風)はカラマツに直立を許さず匍匐させているのです。 しかし、カラマツの方だって黙っているわけではありません。匍匐しているカラマツは数世代の後、次第に主軸が直立し低木化し、更に数世代の後、高木に発達・移行します。 では、ハイマツも気象条件がよければ直立するのか? という疑問がわきますが、今のところハイマツが直立したという報告は無いようです。 富士山の成立は新しく、今の形になったのは僅か3000年前といわれ、未だ侵入植物が少なく植物群自体が非常に貧相です。ハイマツが存在しないのと同様に富士山ではライチョウも存在しません。1960年に北アルプス・白馬岳のライチョウを富士宮口5合目に移植する実験が行われたのですが、1968年を最後に目撃情報が途絶えました。絶滅の原因は餌になる植物相が貧弱だったこと、雪面が硬く凍り厳寒に耐えられなかったこと、キツネなどに襲われたことが挙げられています。 富士山に最も近いハイマツ帯は南アルプスの塩見岳ということです。種子の伝播方法の一つに動物によるものがあります。ハイマツの種子を好むホシガラスは、富士・塩見間60Kmを飛翔し、伝播することにまだ成功していないようです。 今回も樹木の不思議。信州・八ヶ岳は通常南八ヶ岳と北八ヶ岳に分けます。主峰赤岳を擁する岩山が南八ヶ岳。樹林に覆われた様相を呈しているのが北八ヶ岳です。この八ヶ岳連峰の直北に成層火山の蓼科山が独立峰を形成しています。 (注)成層火山は、溶岩と火山灰などが積み重なって、ひとつの火口地域を中心としてできた円錐形の大型の火山のことで、富士山や岩手山がその典型的な例です。 北八ヶ岳の北端近く、蓼科山の少し南に縞枯山があります。名前の通り美しい縞枯れを見せています。縞枯山の縞枯れを見るためには、縞枯山の南にある茶臼山に登ります。必ず縞枯山の南東斜面を見るようにします。縞枯山の場合、北東斜面を見てはいけません。縞枯れのない立派な森林ですから。また、縞枯山の中に入ってしまうと逆に縞枯れははっきりしません。縞枯山々頂近くの植生はシラベやオオシラビソですが、この緑の間を立枯れた樹木の白い帯が何本も入って美しい光景を見せています。縞枯山では、縞の幅は約10m、長さは300〜800m、縞の間隔は約100mです。 縞枯れ発生の原因は長らく謎とされてきましたが、最近少しずつ解ってきたようです。有力な説の一つを挙げておきます。 「大きな原因は諏訪側から吹き上げる南西の偏向風と台風などの強い風、および火山噴出物の岩石におおわれた腐植土の浅い土地がシラビソの成長を抑えシラビソが10mくらいに成長すると風当たりが強くなり、特に強風が吹くと大きく幹が揺すられ、浅い張り方しかできない根は浮かされて細い根が切れてしまう。そのため水分・養分の吸収ができにくくなり立枯れていく。そこで、10mくらいの高さの木がそろって枯れる。」(木村允・東京都立大学理学部教授)というものです。 縞枯れはシラベやオオシラビソが次第に立ち枯れを起こしながら、斜面上方や側方に進行するもので、縞枯れの先端が近づくと付近の樹木に対する風当たりが強くなり一斉に枯れ死します。斜面が変わると風の影響力も変わります。樹木は風に耐えるようになり縞枯れは止まります。明るくなった林床には稚樹が一斉に発芽・育成し天然更新され白い帯は再び緑となるわけです。立ち枯れの縞は、次第に上の方へと移動して行きます。木の寿命はおよそ70年くらい、70年位でまた立ち枯れるわけです。 高山植物には明確な定義はありません。また、高山植物は高山だけに生えている植物というわけでもありません。一般的に、北アルプス等の高山に生育する植物は、高緯度地方では平地に生育します。一応の定義としては高山帯で発生し進化し、そこが生活の本拠となっている植物を指すとされますが、氷河期の遺存植物も含めるのが通例です。上記の定義のうち日本固有種としてはツガザクラ・シロウマリンドウ等がありますが、その数は少なく大部分は遺存植物で占められています。 その昔、落葉・広葉樹林に覆われていた北半球は、約200万年前〜約1万年前の間に起った6回の氷河期により絶滅したり南へ追いやられ、かわりに移動してきた極地植物群が分布を広げたとされます。こうして現代の高山植物の大半を占める植物が日本列島内に入ってきたようです。この植物群を代表種のセイヨウチョウノスケソウ(Dryas octopetala)に因んでドリアス植物群と呼びます。このような形で残存した植物を遺存植物と呼びます。 お花畑というと草本類を思い浮かべますが当然のことながら木本類も存在します。草本類の代表種がコマクサやウスユキソウならば木本類の代表種はチングルマでしょうか。地質と植生は緊密な関係が有って樹木の育ち難いアルカリ性の土壌、例えば白馬鎗ヶ岳の石灰岩地や八方尾根の蛇紋岩地では草本植物が遺存的に分布しています。このようなことからも解るように、お花畑(高山植物群落)は土壌と緊密な関係があります。「お花畑が綺麗だった」等という場合は高山草原土と呼ばれる土壌を指すことが多いようです。高山草原土は水分の供給状況により乾性型、半湿性型、 湿性型の三つに分類されます。冬期に季節風が直接当たる主尾根西側斜面には乾性型の高山草原土が発達しチョウノスケソウ・イワベンケイ・トウヤクリンドウ等が咲いています。風の強く当る場所を風衝地といい、そこに発達した草原を風衝草原と呼びます。船窪地形(風下側斜面の凹状地)には半湿性型の高山草原土が多く見られウサギギクやチングルマが咲いています。このような場所は適度な雪解け水と肥えた土壌に恵まれるため時として2mくらいの草丈の高い高山植物(ミヤマバイケイソウ等)が生育します。これを高茎草原と呼びます。湿性型のものは崩壊性の斜面下部から緩傾斜地に発達します。一般に沢筋や雪田の周りに多く見られるお花畑でニッコウキスゲ・コバイケイソウ・ミヤマキンポウゲ等が咲き乱れています。この他、主稜線に近い岩屑の土壌にはミヤマキンバイやタカネツメクサが咲いていますし、風が吹けば砂が流れるような劣悪な環境にはコマクサが咲いています。 見掛けの土壌別にまとめると、ポケット(岩場のくぼ地)には、タカネニガナ・ミヤマダイコンソウ・イワヒゲ・シコタンソウ・チシマギキョウ・ミヤマアズマギクなどが。崩れやすく不安定な環境には、イワオウギ・イブキジャコウソウ・タカネヨモギなどが。砂礫地・岩礫地(岩屑土)には、ミヤマタネツケバナ・コマクサ・タカネスミレ・イワスゲ・イワツメクサ・イワギキョウ・コメススキ・オンタデが咲いています。風衝地(高山ポドゾル土)にはツツジ科を主とする矮小低木群が枝差し交わして息づいています。 むかしむかしのお話です。 信州(いまの長野県)の小諸(こもろ)の近くにある小さな村に、おこまという、それはやさしい母親と、おいちという、美しくて気だてのいい娘が、しあわせに 暮らしておりました。 ところが、ある年の秋も終わりの頃です。このかわいおいちが、ふとした風邪がもとで、病の床についてしまいました。そして、娘の病気は日増しに悪くなっていくばかりでした。 母親のおこまは、心配で心配でたまりませんでした。いろいろと手をつくし、近郷近在の医者という医者はもちろんのこと、あらゆる薬という薬を飲ませましたが、いっこうに病気は良いほうに向かいませんでした。 いつしか、暖かい春となりましたが、娘は衰弱の一途をたどるばかりで、医者もとうとう見放すような状態になりました。 思案にあまった母親のおこまは、わらにもすがる気持ちで、はるばる信州の西の瑞(はし)にある霊山(れいざん)、木曾(きそ)の御嶽(おんたけ)神社にやってきて、娘の病気全快を一心に祈りつづけました。そして三、七、二十一日の満願の日、とうとう夢のお告げがあったのです。「わが御嶽の頂上には、金銀に輝く葉を持ち、美しい桃色の花が咲く小草がある。娘の病気には、その草をとってきて飲ませよ」 母親は大喜びで、さっそく御嶽の頂上に登りました。そして、お告げの植物を探しあてて、急いで家に持ち帰りました。それを娘に飲ませましたところ、夢のお告げどおり、その小草はたいへんよく効き、さしもの難病もたちまちのうちに全快したのでした。 それからは、この小草のことを、娘を思う母親、おこまの名をとって、オコマグサというようになり、それがいつしかコマクサと呼ばれるようになったということです。 出典:「日本の民話300/旅先で聞いた昔話と伝説」(著者/池原昭治)(木馬書館) 昔、コマクサは「お百草」と呼ばれていました。この物語に出てくる御嶽山を始めとして、山岳信仰で名高い山は古来より多くの登山者を迎え入れ、結果としてお百草の乱獲を招いたようです。現在では黄柏で代用されていますが、コマクサにはジセントリンやプロトビンなどのアルカロイドが含まれていることから健胃効果、鎮痛効果があったようです。御嶽山ではコマクサを乾燥させ、御岳神社の霊薬として参詣客に授けていました。御嶽山のコマクサはいまや絶滅寸前なのです。 山行中にコマクサを見つけたければ、土の色を見ることを奨めます。土の色の白い場所、風が吹けば表土がサラサラと移動する砂礫の場所(このような場所を高山荒原と呼びます)。このような極めて劣悪な環境にコマクサは咲きます。岩がゴロゴロしている所では岩の隙間の砂礫地に咲いています。野口五郎岳や南沢岳にはコマクサの群落があります。多くの高山植物が密生して群落を作るのに対しコマクサは一株ずつ独立して生え、総体として群落を作ります。生育環境の劣悪さから、他の植物の混在がなく極めてスッキリとした群落ですが、一抹の寂しさを感じさせる群落でもあります。 植物学上の分類は、種子植物門>被子植物亜門>双子葉綱>合弁花亜綱>キキョウ目>キク科>ウスユキソウ属ということになる。エーデルワイスの近縁種であるウスユキソウは日本には、ハヤチネウスユキソウ・オオヒラウスユキソウ・エゾウスユキソウ・ミヤマウスユキソウ・ホソバヒナウスユキソウ・ヒメウスユキソウ・ミネウスユキソウがある。 エーデルワイス近縁種という表現からウスユキソウの分布の中心はヨーロッパと思われがちであるが、ウスユキソウ属の分布の中心は東アジアとされ、中国の四川、雲南、ヒマラヤを中心に約50種ある。ヨーロッパには基準種であるエーデルワイス1種しか存在しない。 先述したようにウスユキソウには多くの亜種・変種があるが高山においてこれらを識別することは実に簡単である。日本の高山におけるウスユキソウの分布は1山系1種といって良いほど分布がはっきり分かれている。 北アルプス;ミネウスユキソウ 中央アルプス;ヒメウスユキソウ 南アルプス;ミネウスユキソウ 谷川・至仏岳;ホソバヒナウスユキソウ 飯豊・朝日連峰・月山・鳥海山・秋田駒ケ岳・岩手山;ミヤマウスユキソウ 焼石岳;ミヤマウスユキソウとミネウスユキソウの混棲 早池峰山;ミネウスユキソウとハヤチネウスユキソウの混棲 大平山・崕(キリギシ)山;オオヒラウスユキソウ ニペソツ山・藻琴山・釧路昆布林・礼文島;エゾウスユキソウ なお、1997年にハッポウウスユキソウが発表されている。生育地は北アルプス八方尾根・八方池周辺。 北アルプスにミネウスユキソウの大群落がある。この大群落の斜面を登山道がブッタ切っている。幅の狭い道だからだろうか、多くの登山者は気にも留めずスタスタ歩いていってしまう・・・・・・・。
新暦(太陽暦)の7月7日は梅雨の真っ最中、しかも満月に近い状態の日が多いことから、星の観察には向きません。星を見て欲しいという願いからでしょうか、国立天文台は、旧暦の7月7日を「伝統的七夕の日」として提唱しています。2003年は8月4日です。旧暦(太陰太陽暦)ですから「伝統的七夕の日」は毎年変わります。 <太陰太陽暦> 二十四節気は0°、30°、60°、90°を示す中気と、それ以外の節気の二つに分類されます。列挙すると以下のような長ったらしい名前がずらっと並びます。 啓蟄二月節 春分二月中 暦を作成する上で重要なのは中気の方です。視黄経0°を示す春分点は春分二月中といいます。春分点を含む日を春分日といいます。そして、太陰太陽暦では春分日を含む月を二月とします。 (註)月の周期は29.5306日。地球の公転周期365.2422日。この近似的最小公倍数は太陰暦で235ヶ月=6939.6884日。太陽暦(19年)=6939.6018日がほぼ同じになります(誤差は0.08日=約2時間)。太陽暦(19年)は、19×12=228ヶ月となり、太陰暦の235ヶ月とは7ヶ月違うということになります。そこで、19年ごとに7回の閏月を置くことになったのです。 長い間、暦はこのような方法で作られていました。もっとも日本の暦は朔旦冬至と言い、冬至を起点としています。 旧暦(天保暦)の復元が困難とする国立天文台は伝統的七夕の設定にあたり、現代科学たるケプラーの第二法則を放棄し、地球を等速円運動させています。要するに、二十四節気の処暑七月中(太陽の黄経150度)の直前の朔(新月を含む日)を求め、この日を7月1日とし、「伝統的七夕の日」を定めています。「伝統的七夕の日」は以下になるそうです。 2003年 8月 4日 月曜日 この日に星を観ていただければと思います。織姫は琴座のベガ。牽牛はわし座のアルタイルです。 |
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